2020年9月15日 お米にまつわるはかる道具「枡」
夏の厳しい暑さもやわらぎ始め、秋を感じるようになってきました。
あたりを見回すと、青々としていた稲が黄色い実をつけきらきらと輝いています。
今回は稲刈りの時期にちなみ、年貢を徴収するために使用されていた「枡」をご紹介します。
こちらは、現在の山梨県、甲州を治めていた武田信玄が定めた「信玄枡」です。
この枡は「信玄の大枡」とも呼ばれ、豊臣秀吉の統一枡と比べると、年貢が3倍も入る大きさで作られています。
こちらの「京枡」は天下統一を果たした豊臣秀吉が定めたものです。
秀吉は枡の統一と太閤検地を行い、一つの田んぼから採れる年貢の量に基準を作りました。
秀吉の枡は、現在の「一升」に近い大きさで作られています。
こちらは徳川家康が定めた「新京枡」です。
秀吉の「京枡」と比べると少し小さく見えます。
高さもほぼ同じため、「京枡」の方がたくさん入りそうですが、「新京枡」の方が板の厚みが薄くできています。
そのため「新京枡」の方が、「京枡」より3%多く入るようになっています。
農民は、年貢を多く取られても、見た目が小さい家康の新京枡に、年貢が少なくて済むと思い込み、喜んだのかも知れません。
番外編 繭枡
絹糸の素となる蚕の繭を量るのに使用された枡もご紹介いたします。
こちらは和紙製の繭枡です。
丈夫な和紙で造られており、折りたたんで携帯することができます。
しかし和紙でできているため、繭をたくさん入れると膨らんでしまうという問題がありました。
そこで作られたのがこちらの枡です。
板と板を丈夫な和紙で繋いであるため、木製ですが簡単に折りたたむことができます。
板は軽く腐りにくい桐の木が使われています。
東洋計量史資料館ホームページでは、他にも様々な「はかる道具」をご紹介しています。
ぜひ、ご覧ください。